年俸調停
西武・涌井秀章投手が申し立てている年俸調停
その第一回調停委員会が今日、開かれました。
今回は2008年施行された<新野球協約>の下、調停が行われる初の案件ということで
注目が集まっています。
もともと年俸調停は1973年、MLBで始まったものであり
FA資格を持たない大リーグ歴6年未満の選手に対する救済制度でした。
球団提示額と選手の要求額の妥協点を探して中間の額を決めるものではなく
どちらの言い分が正しいかを決める白か黒かの裁定。
つまり、選手が3億円要求、球団は2億提示であった場合に
2億5千万という曖昧な裁定はなく、3億か2億かどちらかに決めるというものですね。
現在では、この制度を逆手にとり、選手と球団側とのさまざまな駆け引きがあるようです。
日本で一番最初に調停申請をしたのは、同じく1973年、阪神所属の外国人選手(900万希望も600万裁定で退団)ですが
一躍、年俸調停という言葉を有名にしたのは当時ドラゴンズに在籍していた、あの落合博満選手でした。
圧倒的に球団の権力が強い日本プロ野球界、
しかも調停委員はすべてオーナー会議で選ばれたコミッショナー側が務めていたということもあり
結果は落合選手が希望した2億7千万は却下され、球団提示の2億2千万と裁定されました。
その後も、結構頑張って認められたと思われる高木豊氏、若干の上積みのあった下柳投手らを除いて
ほとんどが球団側に有利な裁定となっています。
今回の裁定委員は、委員長はコミッショナー側からですが、野球界を知る人物として堀内恒夫氏、中立の立場の弁護士という構成です。
堀内さんに関しては、いろいろ言われていますが、私は世間で考えられているような人物ではないと思っています。
多分・・生き方が不器用で、本当の自分を出せない照れ屋な人なんじゃないかな。
確かに監督としての能力はどうなのかなぁ?と思うこともたくさんありましたが、
選手に対してのリスペクト、プライドの尊重というようなものはあったように感じていました。
監督という立場には邪魔な部分かもしれないけど、「情」もあった気がします。
たとえば、内海投手などは今でもよく「プロ野球人生で一番感謝している人」と言っていますね。
入団間もない頃、打たれても打たれても「将来、左先発の柱となるべき投手なんだ!」と使い続けてくれたことへの気持ちだそうです。(今の姿には、「しっかりしろ!」と堀内さんも思っているのでは・・)
報知連載中の工藤公康投手の記事でも
「堀内監督は投手出身だけあって投手の気持ちをよく分かってくれた。KOされた時にかける言葉も投手の気持ちをプラスに向けるものだった。そして何よりKOされても何があっても先発で使ってくれた、それなのに自分が元気な時に胴上げして恩返しできなかったことが心残り。」
と、工藤投手自身が語っています。
その投手寄りな采配が成績低迷、優勝を逃した原因かもしれませんが、今回の調停は投手である涌井選手が申請者。
競技者出身、しかも投手の気持ちの分かる堀内さんの意見・判断が裁定にどの程度反映されるのか、注目して見守りたいですね。
私事ですが、我が家には現在2頭の兄弟犬がいます。
去年12月に兄犬がお父さんになりました。
生まれた仔犬の中に男の仔がいれば譲り受けることになっていたのですが
お母さんが上手に産み分けてくれて、我が家に可愛いチビちゃんが家族としてやって来ることになりました。
母犬から離すのはまだまだ可哀相な月齢ですが、訓練その他スケジュールもあり今週末お迎えです。
最初はケージ生活から、ミルクやお水、そして離乳食の開始・・・
環境に慣れるように、たくさん手をかけてやりたいと思っています。
キャンプ一軍メンバーも決まり(イタルはやっぱり無理だったか〜)、いよいよこれからという時ですが
ブログはしばらくお休みいたします。
落ち着きましたら再開しますので、またよろしくお願い致します。<薫>