8月6日に広島で

私の母方のおばあちゃんは広島生まれの広島育ち
85歳になる今も毎朝の散歩を欠かさず
元気に暮らしています。


そんなおばあちゃんが19歳の時
原爆は投下されました。
爆心地から少し離れた所に住んでいたおばあちゃんは
直接の被害は受けなかったものの
遠くの空に見えた不気味な“きのこ雲”を今でも忘れないと言います。
友人や知人、たくさんの大切な人を原爆で失い
流す涙も枯れ果てた辛かった記憶を
戦争の悲惨さを
幼い私に、目に涙をいっぱい溜めながらよく話してくれたものでした。
私も少しでもおばあちゃんから聞いたことを伝えていけたらと思っています。




その広島で、8月6日
53年ぶりにプロ野球の公式戦が行われました。


原爆ドームに程近い場所にあった旧広島市民球場
この日だけは、静かに祈りの日としたいという市民の感情もあり
長い間、野球のない日であることが当たり前だったそうですが
マツダスタジアム建設を機に条例も改められ
広島ー巨人戦が3連戦として組み込まれたのです。



好調両チームの戦いは白熱し
3試合とも接戦の熱い戦いが繰り広げられました。


ジャイアンツ連勝を受けての第3戦
先発は広島広陵高校出身の西村健太朗投手
中継ぎから先発に転向し無傷の3連勝と波に乗る健太朗
この日も、持ち味のシュートで内角を突きフォークも冴え序盤4回までを無失点に抑えます。
オマケと言うにはあまりにも見事なバッティングで自ら先制となるタイムリーも放ち絶好調!


しかし、5回坂本勇人の送球ミスからランナーをため得点を許します。
1点入りなお1死満塁、4番の栗原選手が放った打球は鋭く右中間へ〜
誰もが抜けたーと思った瞬間
高橋由伸が見事なダイビングキャッチ!

左手をいっぱいに伸ばし、全身で最後のひと伸びをみせたヨシノブのチームを救うファインプレーでした。


何度も何度も怪我をしているのに
今年春にもフェンスに激突して肋骨を3本も折っているのに
素晴らしいファイトに胸が熱くなる想いでした。


捕った後も、すぐさま次のプレー
カバーに来ていた長野にそのままの体勢からトス
犠牲フライとはなったものの1点に留めます。

健太朗もここを抑えなきゃ男じゃないとばかりに
次打者の丸選手を渾身のフォークで空振り三振!
ヨシノブのプレーに応えます。

どんなに身体を張ったファインプレーをしても
チームが負けてしまえば「いいプレーだったけど負けちゃったね」となります。

もちろん素晴らしいプレーは勝敗に関係なく讃えられるべきですが
勝利の中でこそ光り輝くというものです。



原監督も
「あれはもう、めちゃくちゃ大きいプレー。
天と地という言葉があるけれども、そんなプレーだったと思う」
と試合後の談話で語り

健太朗もヒーローインタビューで
「由伸さんのプレーに助けてもらいました」
と、朴訥ながらもしっかりとした受け答え。
この頃ピッチング同様堂々としてきたなぁ、あのシャイで何も話せなかった健太朗がねぇ
と成長ぶりが嬉しく感じられました。


打つだけじゃない、一つの守りでもチームに貢献できる!
抜ければもちろん走者一掃、逆転の一打となっていたはずです。
5回のあのピンチで相手に流れを渡さず
ジャイアンツに勝利を呼び込んだこの夜の高橋由伸
ビッグプレーでしたね。


坂本勇人の懲罰交代に驚き
長野久義への頭部デッドボールに心臓が止まりそうになりましたが
どうやら長野も大丈夫そうです。
ちょうどヘルメットの耳当て部分に当ったようにも見えました。
昔、阪神タイガースの田淵選手が死球を受けてから選手を守るために造られたという耳当て。
あってよかったと本当に思いました。


長野選手の精密検査の結果が異常なしであることを祈りますし
死球を与えたカープ・今村投手の今後の活躍も願っています。


66年目の8月6日
53年ぶりに広島の地で行われたプロ野球公式戦
さまざまな想いの中、精一杯戦った選手たち
灯篭流しに込めた祈りが届きますように。