高橋由伸、真の復活へ

2010年、高橋由伸にとっては復活のシーズンとなるはずでした。
手術という大きな決断、懸命なリハビリを経て臨んだ今シーズン
結果は
116試合に出場
打率.268  本塁打13  打点56
天才由伸の華麗なるバッティングをずっと見てきたファンとしては
とても納得のいく数字ではありません。
116試合に出場といっても、代打での出場のみということも多く
スタメンで出たゲームでも中盤、投手交代時にベンチに下がる場面があるなど
もはやレギュラー選手という立場ではなく、中心から外れた選手として
ベンチの後部座席で唇をかみ締める姿が、幾度となく見られました。

そんな出場機会に恵まれない中で残した数字
本塁打13本はともかく、打点56という数字は立派な数字であったと思います。
他のレギュラー選手と比較しても
四球44、犠飛6、この数字にも由伸選手の底力を感じました。


思えば、その野球人生は怪我との闘いでした。
1997年
田淵幸一さんの記録を塗り替える東京六大学新記録、23本塁打という記録とともに
ドラフト1位で華々しくジャイアンツに入団
翌、1998年ルーキーイヤー
打率3割、19本塁打、75打点という堂々たる成績にもかかわらず
ライバル川上憲伸に破れ新人王のタイトル獲得ならなかったことが悲劇の始まりでした。


原監督以降の巨人歴代野手新人王の成績と見比べても
原辰徳  2割6分8厘 22本 67打点
仁志敏久 2割7分    7本 24打点
松本哲也 2割9分3厘  0本 15打点
(松本選手の場合は16盗塁、走塁や守備面での評価があり打撃3部門のみでは比べられません)
長野久義 2割8分8厘 19本 52打点

由伸選手の新人としての数字はすべての選手を上回るものであり
何より、1年目からゴールデングラブ賞を受賞した守備力は
当時、「ジャイアンツの外野を変えた男」と呼ばれました。


そして、今思い返しても
高橋由伸が最高に輝いていた1999年シーズン
40本にも届こうかという本塁打ペース、打点も98点まで伸ばしていた
9月14日のナゴヤドーム、そのアクシデントは起こりました。
打球を追ってフェンスに激突、右鎖骨骨折という重傷を負ってしまいます。
その時点で、由伸選手のシーズンは終了、その年再びグラウンドに立つことはなかったのです。
私はこの怪我が、完治した後もその後の野球人生において大きな影を落としていたように思えてなりません。



2000年、ミレニアムVに沸くチームの中でいま一つ波に乗れない由伸
翌年も2年連続フルイニング出場を果たしたものの
主軸打者として納得のいく成績ではありませんでした。

2003年、広島球場で左足の足低筋挫傷で長期離脱したのを皮切りに
その後の数年は、手術が必要だったほどの右足首捻挫、腱板損傷、肩甲骨下肉離れ・・・
数え上げればきりがないほどの怪我を重ねました。

すべて守備中のアクシデントです。
常に全力プレー、そこに白球があれば飛び込んでいくというスタイル
硬いフェンスにもぶつかっていき、人工芝でも躊躇せず身体を張ったプレーが身上でした。


2004年のアテネ五輪では中心選手として右ひじ故障を隠して全力を尽くしました。


ようやく訪れたタイトル獲得の機会、それは
1番打者として「開幕戦初回表先頭打者初球本塁打」という華々しいスタートを切った2007年でした。
順調に本塁打を積み上げ、チームも原監督の下、見事優勝
初の本塁打王に輝くかと期待しましたが、惜しくも1本差で逃し
有力と思われたシーズンMVPも獲得できませんでした。
そのストイックな性格ゆえ、ファンやマスコミに対しての不器用な対応など含め
誤解されることの多かった野球人生。


翌年から4年契約を結ぶも、腰痛手術という大きな決断もあり
複数年契約に見合う充分な働きはできませんでした。
契約最終年となる来季
まさに進退をかけるシーズンとなるはずです。


ファースト守備も懸命に努力し、一塁手としての出場から始まった今シーズンですが
来季は、外野に固定されるとか。
しかし、チームは生き物、常に変化し動き続けています。
誰がどこを守ると決めていたところで、そのように運ばないのプロ野球の世界。

とにかく、由伸選手が目指すべきは
《打つこと》です。


チームが由伸選手に求めているのは、<打って貢献してくれる選手です>
いくら必死のプレーでチームを救っても、怪我をして離脱するような選手は
弱い選手と言われてしまうのです。
監督は故障した選手に固執してはいられません。
チームを勝利に導くため、常に最善のピースを求め、選手を配置していくのです。
その監督が、外せない選手と認めてくれるほどの「打撃」を見せてこそ
ジャイアンツの勝利に貢献できるというものです。



10月、クライマックスシリーズ
甲子園、そしてナゴヤドームで由伸が見せてくれた勝利への執念
その存在感は来季の完全復活を予感させてくれるものでした。


手術から「復帰」したのが2010年と言えるならば
真に「復活」を遂げてほしい2011年


高橋由伸、勝負の年
応援します。