サッカー小僧と呼ばれる「わけ」

澤穂希選手バロンドール受賞の華やかな話題の陰で
ひそやかに
でも
晴れの国・岡山のひまわりのように咲き
地元ファンからは性別の枠を超えて
「サッカー小僧」と呼ばれ愛されている湯郷ベル宮間あや選手



昨年11月9日〜3回に亘り、読売新聞に特集記事が掲載されました。
少し紹介したいと思います。
(青字部分が掲載文です)


泣きじゃくるFW永里優季に駆け寄った。
肩を抱き、頭からタオルをおおいかぶせて励ました。
「まだ2試合あるよ」


7月9日、女子W杯準々決勝で日本がドイツを破った直後だった。
仲間たちが喜びに沸く傍らで、得点できず途中交代を命じられた悔しさを隠しきれなかった後輩を
「独りぼっちにしたくなかった」


2か月後のロンドン五輪アジア最終予選では献身的にプレーする永里優の姿があった。
終戦となった中国戦の後
不出来を悔やんで涙する後輩FWの高瀬愛実
今度は永里優がタオルをかぶせて慰めた。

そんな場面を見ると嬉しくなった、
「私も(W杯)で救われた経験があるから」
永里優が後輩に優しく出来た訳を聞いたときは照れくさかったけれど・・。
(読売新聞 2011.11.9 込山駿記者)



ここまで私が詳しくないながらも宮間あや選手を見てきた中で
このエピソードには深く頷けるものがありました。
もちろん澤穂希という大きな存在を柱に戦い抜いたなでしこ達の2011年でしたが
その陰で
常に周りに目配り、気配りし味方を鼓舞
ピッチを離れては決して表に出ず
テレビに出ないことを揶揄されることがあってもそんなことは意に介さず
自分の想いを貫きチームをまとめた宮間あや選手の支えがあったことも
忘れてはならないと思うのです。



小学5年生から指導を受けてきた元日本代表・本田美登里さんとの10年間を
「W杯で優勝しサッカー人生を振り返った時に
本田さんと出会っていなければ、ここまで来られなかったと思った」
と語る宮間選手。


サッカーをやめることも考えたという高校2年生の時
当時湯郷ベルの監督だった本田さんから
「サッカーを離れちゃダメ、ウチに選手登録するだけでもいいから」
そう手を差しのべられたことへの感謝は忘れないと言います。


本田美登里さんから自分を経て、永里優や高瀬へと繋がる絆

「サッカーは一人じゃできない」

大好きなサッカーボールを追える喜びに感謝するあやちゃんが
いつも胸に刻んでいる言葉です。


明日に続きます。