されど、江川卓

ジャイアンツファン歴〜十年の両親に
これまで見てきた中で一番すごいと思ったピッチャーは誰?って聞くと
二人とも口を揃えて
江川卓」と答えます。


金田さんや稲尾さんの現役時代は知らない世代ですが
阪神時代の江夏豊投手、阪急の山田久志投手、我がジャイアンツでは堀内恒夫投手など
多くのエースを見てきた両親にとっても
江川卓>という投手は別格だったようです。


全盛期だったと言われる高校時代、
作新学院のエースとして、完全試合2回、ノーヒットノーラン9回
数々の記録と伝説を作り上げ《怪物》と呼ばれたことはあまりにも有名です。



甲子園出場時、雨中の熱戦で手元が狂ったか押し出し四球でサヨナラ負け・・
ナインに詫びる江川に「お前のおかげで甲子園に来れたんだ、ありがとう!」
孤独だったと言われる江川卓が、仲間の想いを受け止めた瞬間だったかもしれません。
いつの時代も甲子園は熱い涙の舞台ですね。




数年前、自らの番組内で原点回帰、幼い頃育った天竜川での思い出
石投げをして水切り回数を競ったことや
向こう岸めがけて遠投を繰り返し肩を鍛えたことなど、懐かしそうに語っていました。



不可解な入団の経緯から、世間の非難を一身に浴び
なかなか理解されにくい状況でのジャイアンツ入団でしたが
生まれ持った才能と、もちろん努力もあり
入団3〜4年目の頃は
両親に言わせれば、まさに<次元の違う投球>を見せていました。
きれいなスピンがかかり、ホップするように浮き上がるストレート
ここぞという時の投球は、バットにかすりもしなかったといいます。
公式に記録された最高速は<153キロ>だったようですが
当時のファンの感覚では、「160キロぐらい出ていた気がする」というものだったらしいです。
スピードガンの数字では表せない<最後のひと伸び>があり
いわゆる初速と終速の差が少ないストレートだったのではないかと思います。



父いわく、下位打線への手抜きがあり、思わぬ伏兵によくHRを浴びたものの
力を溜め込み、余裕で迎えた最終9回
狙って三者三振で締めくくっていた姿は、ジャイアンツファンにはたまらなかったと言います。



江川卓の持ち球は、晩年他の変化球にも挑戦を試みはしましたが
そのほとんどは、ストレートとカーブのみでした。
圧倒的なストレートの威力、それを生かすカーブ
よきライバルであった阪神掛布雅之選手との対戦では
お互いの中で暗黙の了解があり、「初球は必ずカーブ」
そのカーブを、「掛布は絶対に打たない、2球目からの勝負」
そんな、二人にしか分かり合えない決め事があったというエピソードも聞きました。
(ある時、振らないはずのカーブを打って驚かせたこともあると掛布さんが話していたことも!)



そしてなんといっても、江川のピッチングを支えたもの、それは抜群のコントロールでした。
プロ9年間で通算1857投球回
与えた四球はわずか443個という少なさです。
単純に計算しても、一試合2個は出さないということになります。
4年目のシーズンでは、無四球試合も10試合あるという素晴らしさでした。
過去に頭部死球を与えてしまった経験から、近目を厳しく攻めなかったため、総死球もわずか23個です。
もっと内角を攻めていたら、さらに上の成績があったのでしょうか・・・。



当時阪神タイガースに在籍していた強打者、ランディ・バース選手との対決もファンを沸かせました。
1986年、王さんの持つ7試合連続本塁打にあと1試合と迫った巨人戦
先発マウンドに上がったのは江川卓
王さんの記録は守らなければならないという風潮の中、真っ向勝負を挑みます。
(ちなみに、前日連続6試合目を打たれたのは同じく勝負していった桑田真澄!)
4打席目までは見事に抑え込みましたが、5打席目に力尽き
打たれたホームランは、とてつもない当たりで後楽園球場のライト場外に消えて行ったそうです!
後年、江川さんらしく
「4打席目までは、山倉捕手とシュミレーションした通りの投球で完璧。
ただし、他の選手に打たれて5打席目まで回してしまったのが失敗だった、最後の打席は想定外。」
と、嘘かまことかの江川トーク炸裂でした〜


江川卓VSランディ・バースの通算対戦成績は
83打数19安打  打率2割2分9厘
打たれた本塁打は、あの日の場外弾を含めてもわずか3本
数々の栄光を記録して、アメリカに帰国する時
バース選手は、ピッチャー江川に対し賞賛を込めながら
「常に堂々と真っ向勝負してくれた、日本で最高のピッチャーは“Suguru Egawa”」
という言葉を残しています。


1987年、優勝争いの中、広島戦で
「この球を打たれたら終わり」の完璧な投球、
江川卓、渾身のストレートが、小早川毅彦選手によってサヨナラ本塁打とされた時
引退を決意。
いろいろと言われているけど、映像で見る限り
がっくりとマウンドに膝をつく姿は
「あの一球に賭けていた」という本人の言葉に嘘はなかったように思えます。



入団時の記者会見も異例なら
引退会見での「肩甲骨に鍼」も、驚きの会見となり
32歳、わずか9年間、135勝の選手生活を終えた<怪物、江川卓
残した記録以上の〔記憶〕をファンの胸に残してマウンドを去ったのです。



ジャイアンツの監督にという声も、久しく聞かれなくなりました。

<されど、江川>・・と巻き返す姿は見られるのでしょうか。